日本橋七福神めぐり

                      七福神への信仰は、室町時代より始まったといわれ、
                     五○○年にわたって日本人に受け継がれ、年々盛んになっております。
                     日本橋七福神は他所とは異なり、すべて神社で構成され、
                     しかも日本で一番巡拝が短時間にできるという特長を持っています。
                     日本橋通りや人形町通りは、江戸下町の伝統を持つ繁華街です。
                     下町情緒に触れながら、参拝いただきますよう、ご案内申し上げます。
                     出発点は定めておりませんので、御自由にお巡りください。
                                   
                                                        日本橋七福会


末廣神社 毘沙門天

カウンター



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色紙


御朱印


祭神
 
宇賀之美多摩命
 武甕槌命(毘沙門天)


末廣神社の由緒

末廣神社は、江戸時代の初期に吉原(当所葦原と称した)がこの地にあった当時(元和3年から明暦3年まで)その地主神、産土神として
信仰されていたといい、明暦の大火で吉原が移転してからは、その跡地の難波町・住吉町・高砂町・新泉町の四ヶ所の氏神として
信仰されたといいます。


境内掲示による末廣神社の由緒

末廣神社は、江戸時代の初期に吉原(当所葦原と称した)がこの地にあった当時(元和3年から明暦3年まで)その地主神、産土神として
信仰されていました。
明暦の大火で吉原が移転してからは、その跡地の難波町・住吉町・高砂町・新泉町の四ヶ所の氏神として信仰されていました。
社号の起源は、延宝3年社殿修復のさい年経た中啓(扇)が発見されたので氏子の人達が悦び祝って末廣の二字を冠したものです。
                                                                          (境内掲示より)


「中央区史」による末廣神社の由緒

末広神社(日本橋浪花町六ノ一〇)
震災後の区画整理により昭和二年正月浪花町三番地から現在地に換地奉遷したもので、倉稲魂命を祀る。
氏子戸数四百二十五戸をかぞえ、その分布は浪花町・人形町一、二丁目にわたっている。
毎年五月二十二日に例祭を執行し、毎月二十二日をもって月次祭を執行する。
散地三十七坪、現社殿は戦後の復興にかかるものである。
                                                            (「中央区史」より)


東京都神社名鑑による水天宮の由緒

江戸時代初期、葭原(元吉原)がこの地にあった。
当時は、葭原八力町の地主神として信仰されていた。
明暦の大火で葭原が移転したのちは、難波町、住吉町、高砂町、新和泉町四力町の産土神として仰がれた。
社号の起源は延宝三年(1675)本殿修復のさい、年経た中啓(末廣扇)が出たので、氏子の人たちがよろこび祝って「末廣」の二字を冠したものである。
昭和二十年三月十日未明の空襲により、社殿・社務所等焼失した。
                                                            (東京都神社名鑑より)


甘酒横丁 御膳鮨処 関山 陽当たりのいい処に大勢の人がいます。
大門通りから右に曲がった通りには
陽が当たってないのでとても寒いです。
はやと屋 人形町 はやと屋
緑提灯 地場産品応援の店 幟の立っている処に人だかりしています。
奉納 元葭原 総鎮守 末廣神社             末廣 毘沙門天
扁額 末廣神社 お詣りするのに時間がかかりそうです。
末廣 毘沙門天像  浮田麻木作 
お詣りが済んだので御朱印を頂きます。    今度は右の方に並びます。
御朱印を頂いたので人をかき分けて鳥居の外に出ました。ここで15分程かかりましたか。
11時50分 末廣神社から次の笠間稲荷神社に向かいました。